とり日記

日々思ったことの備忘録。

不安を売る商売は存外多い

成長しない人間は時代から取り残される、らしい。


今やっている仕事はAIにとって代わられるから、それしか出来ない人間は最下層になるらしいし、

将来の年金はほとんどもらえる訳がないから、今働いている世代は八十才になっても働かなければならないらしいし、

日本語はマイナー言語だから、英語が出来なければ将来生きていくのが難しくなる、らしい。


よく聞く、将来の絶望的な観測は、人を色んなことに取り組ませる。


TOEICの勉強だとか、異業種との交流だとか、iDeCoやNISAを使っての資産運用だとか、仮想通貨だとか、月五万円稼ぐことを目標に、副業に手を出すこと、だとか。



成長しない人の将来は亡きものと同じ。
イコール、今やっていることしかやらない人は、将来生きていけない、とも言い換えられる訳で。


だからそうならない為に、今の自分ではないものになろうと努力を自分に課す訳だけど。


じゃあそもそも、その将来って何なんだろう。


よく聞く、暗い未来予想図は

「今と同じことしかやらないお前は、いずれこうなりますよ」

と私に語りかけてくるけれど。

そもそも、そう定義したのは誰なのだろう。
誰がそう決めたんだろう。


色んな学説とか、本とか、ブログとか、有名な誰かがまことしやかに語っているけれど。


「◯◯国では国民の大半が二か国語以上操る」とか「◯◯では資産運用は当たり前」とか「三十歳なら普通月給は◯◯円、そうでないなら転職してキャリアアップするのが当たり前」とか。色んなこと言っているけれど。


じゃあその人たちの語る「将来」に踊らされて、右往左往して、疲弊して、不安になっている、「今」の私って、何なんだろう。


不安って、強烈な力だな、と思う。
人を行動に移させもするし、人を病ませて命を絶たせたりも、する。


昔の仕事で保険を売っていたけれど、売り口上をざっくりまとめるなら、全て

「貴方の将来◯◯なリスクがありますよ。今後のためにリスクに備えましょう」

だった。


就活生だった時、まぁなかなかの氷河期だったのだけれど、集団説明会の他に、セミナーの類いも豊富にあった。
エントリーシートの書き方や、試験の対策だとかのものから、中には就活生の心構えを語る、精神論的なものも結構、あった。
セミナー終了後に講師の著書販売とサイン会をやる、なんてものも。都道府県主宰のセミナーだったのだけれど。終了後、長蛇の列になっていた。結構高い本だったのに。


不安の渦中にある時は、自分がどこにいるかなんて分からない。
だから闇雲にもがく。そこにいて、それをやるのが当たり前だと思っている。だって辺り見渡せば、みんな同じことをやっているから。みんなもがくのが当たり前。だから私も同じようにする。

そこにいるから、それをやっている人しか私の目には映らない。


不安は強烈な力で、動機だ。他人を動かすには何よりの、取って置きのエネルギーだ。


自分の成長のため、なんて思ってやっていることの大半は、誰かの語る不安予想図に踊らされているだけ、なのかも。