とり日記

日々思ったことの備忘録。

思い込みと自己否定

思い込みっていつの間にか、簡単にしやすいよなぁ、と思う。


弁当の時に使っている箸があった。100均で購入した、まぁどこにでもあるような、何の変哲もない箸である。


それがどうにも、使いにくくて仕方がない。おかずは摘まめないは、取り落とすは、散々たるものである。
見た目は本当に、普通の箸だ。長さも形も特別なところはないのに。

正しい持ち方をしていないからだろうか、と矯正してみたけれど、それでもやはり、上手く扱えない。
私はこんな一般的な箸も使えないような奴なんだ、と地味に落ち込んで、自信をなくしていた。


最近、たまたま偶然、違う箸を持っていくことがあった。
件の箸よりも古いもので、まぁ捨てても良いけれど念のために予備で取っておいてあるものなのだが。

その箸がなんと、とんでもなく使いやすかった。

今まで掴めなかったものがちゃんと掴める。キノコの炒め物も、キャベツの千切りも、鳥の照り焼きも。前は悪戦苦闘しながらやっていたのに、この箸なら何の苦もなく摘まめてしまう。

結局、私の箸の使い方が悪い訳でも、私が特別不器用な訳でもなく、使っている箸に問題があったのだった。


・・・という、至極当たり前の結論というか、気付いてしまえばどうということがないことなんだけど。


でも気づかない時は本当に、ほんとーに、私はとんでもない不器用で、大人なのにまともに飯も食えない人間なんだ、と思っていた。若干思い詰めてすらいたかもしれない。たかだか「その箸だけ」が使えない、だけなのに。


多分、「この道具とこの方法しか正しいやり方はないんだ!」と思い込んでいることって、他にもたくさんあるんだろうな、と思う。


本当は、箸みたいに、使いにくければ違うものを試したりしても良いのに、何故だかその道具とやり方に、ずっと固執している、そんなことがあるんだろうな、と。
(よく考えてみれば、あの箸以外にも家にはフォークなりスプーンなりがあったのに、何故か私は使おうと思わなかった。というか、大人なのにフォークなんて子どもじみててみっともない、と思っていた)


思い込みって、人を追い詰めるんだよなぁ。あんなたかだか箸の一つで、それでも私は自信を失っていたんだもの。恐ろしいこと。


今後は、何だか自信がなくてくよくよする時は、思い込みで自縄自縛になっていないか、振り返った方が良さそうだ。