努力について2
昨日から引き続き、努力について考えてみる。
昨日は
・強制されること
・矯正されること
・苦痛や我慢を強いられるもの
・成果が出にくい、変化が分かりにくいもの
が私にとっての「楽しくない」努力だと考えた。
ということは、「楽しい」努力は、少なくとも上記四点とは反対の位置にある概念になるのだろうか、と思う。
ので、書き出してみることにする。
・強制されること↔️自発的、自主的であること
学校のマラソン大会と、「早起きしたから一走り行ってくるか」の違いだろうか。
・矯正されること↔️特化させること
悪いところをなくしたり良くしたりよりは、自分の良いところを更に伸ばす方が、テンションは断然上がる、気がする。
・苦痛や我慢を強いられるもの↔️気楽にやれるもの
努力の継続するためのハードルが下がるのかも。
・成果が出にくい、変化が分かりにくいもの↔️成果や変化が目に見えるもの、体感できるもの
続けていけるためのモチベーションが必要ということ、だろうか。
ここまで考えてみて、思ったのだが。
私にとって努力とは、「続けられること」なのだろう。
成果が現れるまで、そして現れたその成果を保持出来るように、長く長く続けられること。
それが私にとっての努力なんだろうなぁ、と思う。
努力しろ、という言葉はよく聞くけれど。
学校でも職場でも、努力は義務みたいに語られるけれども。
で、そういうところで語られる努力がどういうものかと言えば、長時間休憩を取らずに机にかじりついて勉強することであったり、残業代の支払われない超過勤務をすることだったり、というイメージが強くあったり、する。
アスリートが歯を食いしばって走る、あの感じとも似ている。
ただ、今思い返してみて、私が努力出来たことや、今も続いていることというのは、そういう苦痛とは無縁のものだな、と思う。むしろ大変で、骨が折れる思いをしてやったことは、一年くらいは続けられてもその後が全く続かなくなった。
努力する姿を人は「ストイックだ」と表すけれど。
努力するのにストイックさなんて、本当はいらないんだろうな、と思う。