とり日記

日々思ったことの備忘録。

来年の今頃は違う自分

来年の今頃は、絶対今とは違う状況にする。


と、ちょっと決意表明をしてみる。


ここ数年、ずうっと停滞している、と感じている。具体的には、転職して、今の仕事を始めてからずっと、なのだけど。
この六年近く、同じところをずっと、ぐるぐる回っているような心地でいる。いつまでも、変化がないと思う。小学生の時の、ここから先へどこにも行けないと感じたあの鬱屈感が、ここ数年ずっと傍に居着いている。


転職してから、もう六年目。こんなに同じところに留まったのは、小学生以来だ。いい加減違う景色を観たいと望みつつ、見えるのは同じものばかり。いくつか挑戦したものは、どれも無惨な結果に終わった。


変化を起こすための挑戦を、どれくらい行えば良いのだろう。

どうして私は、この状況を変えられないのだろう。周囲の人は皆、良い方向に向かっている、ように見える。隣の庭がよりよく見えているのかしら。でも実際、私以外は皆ちゃんとまっとうに、人生を進めていっている、と思う。

結婚したり、子どもが出来たり、出世したり、スキルアップしたり、転職したり。そう、望んだままに出来ている人たちが羨ましいし、とんでもなく、憎らしい。
何かを成すべしと躍起になっている私を他所に、私以外の人はちゃんと支払った努力に応じて、対価を得ている。私は支払うばかりなのに。そう、ふつふつと込み上げるものがある。


がむしゃらに努力をしても、私は結局何も起こせなかった。体を壊して、調子を崩して、注意散漫から事故に遭って、低気圧が通る度にぎしぎし体が軋むようになった、だけだった。


私の努力は報われない。そんな考えが頭に滲む。どうせ何をやっても上手くいかないか、酷い目に遭うだけだ、と思う。特にこういう、調子の悪い夜は。

だからこう、自分に言い聞かせる。

努力が報われない訳じゃない。私の身に起こる体調不良や、アクシデントは、私がどこかしら無理をしていることの証左だ。完全に倒れてしまう前に変更せよという、無自覚な意思表示なんだ、と。
別に私に、報われない努力が運命付けられている訳じゃあないんだ、と。


どこぞの自己啓発書で、似たようなことを言っている気が、しないでもない。赤の他人から言われたら、私だって胡散臭くて、聞く耳は持たない。


でもこれは、他でもない私自身から、私に向けた言葉だ。何より身近な自分に声をかけているのだ。


元々人間なんて、自分の聞きたいことしか聞けないように出来ている。どんなに崇拝する人が私に何かを言ったところで、それを聞き入れるか否かの判断をするのは、結局私だ。なら、私が聞きたいこと、望みたいことを私自身が言い聞かせないで、一体誰が代わりに言ってくれるというのだろう。


変化は思ったように起こせるもの。自分への不信感ばかり信じている私に、私はそう言い聞かせる。