とり日記

日々思ったことの備忘録。

判断基準を作るということ

自分の中の判断基準を見つけるのは、思いのほか、困難なことだ。


私は何が好きなのか。嫌いなのか。どういう考え方で、こういう判断をしやすい、とか。これだけはしたい、したくない、とか。


ついつい、私は他の人の意見を探してしまう癖がある。
今の自分と同じような人はいないか。同じ気持ちを、同じ考えを語る人はいないか。貴重な休みを丸一日費やしても、大抵の場合、見つからない。そして多くの場合、自分が想定していたよりも遥かにどぎつい意見や、極論を目にして、驚いたり傷ついたりする。


大人になれば、年を取れば、自分の価値基準の判断は自然に出来るようになる、と思っていた。身長が伸びるように、体重が増えるように、年月が重なれば勝手に出来上がるもの、と思っていた。


でも今、間違いなく大人であるとされるこの年齢になったけれど、自分の価値基準の判断は、勝手には出来上がってこなかった。


「私はどう思っているのだろう」
「何故そう思うのだろう」
「他の人と考え方が違うらしいが、どうしよう」
「私はどうしたいのだろう」


こうやって、一つ一つを手探りで考えていくことでしか、自分の基準も判断も、出来なかった。


多分だけれど、人って本当は、かなりの部分を自分で作らなければならないのかも、しれない。

育てられた環境とか、取り巻く社会情勢とか、周囲の人間模様とか、そういう要因が物凄く強く影響を与える、とされているけれど。


確かにそういうのは、とんでもなく影響力を与えているのだとは、思うけれど。


ただ、そういう状況に置かれた自分が、どんな風に思うのか。どんなことをしたくて、したくないと望むのか。


というのは、その時の己をじいっと見つめて観察しなければ、分からないものだ、と思う。


他の人と同じように「○○が嫌だ」と言っていても、実はその中身は全然違うのだと思う。その違いをいちいち眺めて、見つめて、気付くことで、私は私の判断を作ってきたのだな、と思う。今思い返せば、だけれども。


ついつい他人からの意見を求めがちなので、自戒を込めて。