とり日記

日々思ったことの備忘録。

2018年8月15日

嫌いなものは何としても避けなければならない。


という強迫観念が働くことがある。


例えば嫌いな俳優や、女優とか。特定の音楽とか。何らかの思想であるとか。趣味嗜好の話であるとか。


そういう自分の好き嫌いの、特に嫌悪の部分を排除しようとするあまり、必要以上に過剰に、他者に主張してしまうことが、ある。


何でこんなことをするのか。
と自己分析してみたのだが、恐らく昔、嫌いなことをやらざるを得なかった経験があって、その理由を「相手にちゃんと伝えられなかった」と考えてしまったのだと思う。要は、ちゃんと自己主張出来なかった私が悪い、と。


根底には、拒否出来なかった自分への、自己嫌悪があるのだと思う。明確なエピソードは出てこないけれど。多分ちょっとした出来事の積み重ねなんだろう。他人の価値観を押し付けられた、という感覚が、徐々に自尊心だとかを削っているのかもしれない。それをどうにか食い止めようとしたり、回復しようとすることが、「異常な拒否感」に繋がっている、のかも。


とある物事に異様に拒否感を感じてしまう時。そしてそれを何としても排除しようとしてしまう時。それはもしかしたら、私の自尊心がいつの間にやら傷付いている主張なのかな、とふと思った。



ツイッターで所謂「地雷」を踏むのを避けようとするのも、もしかしたら同じことなのかなぁ。地雷と思うものを見聞きすることで、自分を侵害されているような心地になってしまっているのかもしれない。


地雷原を取り除こうと奮闘するよりも、それを見て「侵害された!傷付いた!」と思う自分を回復させる方が効き目は早かったなぁというのは、大分経ってから気がついた事実。