習慣と報酬について
『ぼくたちは習慣で、できている』
という本を読んでいる。
前に一度読んでいたものの、その時はかなり飛ばし読みしてしまったので、改めて読み直しているところ。
その中で、出てきた「報酬」についての記載を読みながら、
ふと私にとっての「報酬」はなんだろうなぁ、と思ったので、ちょっと考えてみようと思う。
考えるにあたって、今のところ習慣になっていることを、思い当たる限り箇条書きする。
(その習慣の善悪は問わないことにする)
・通勤中の自家用車内で歌う☆
・お弁当のおかずを作る☆
・家計簿アプリで支出をつける☆
・掃除☆
・朝と就寝前にお湯を飲む☆
・飲酒
・ブログで日記をつける
☆がついているのは、もう完全に習慣になったと分かっているもの。
付いていないのは、今のところ続いて(しまって)いるが、今後はどうなるか分からないもの。
☆がついている習慣と、そうでない習慣についての違いは何だろう。
差を考えるにあたって、まず、これら習慣から私が得ていると思われる報酬について、心当たりを書いてみることにする。
・通勤中自家用車内で歌う☆
→歌が上手くなる、気分転換になる、現実逃避になる
・お弁当のおかずを作る☆
→自分で食べたいものを食べられる(市販品は濃くて嫌という我が儘まが満たされる)、美味しく作れた時の達成感、
・家計簿アプリで支出をつける☆
→後で見返した時に、一月にいくら使ったかが一目瞭然になることの、爽快感。どんな買い物も必ず付けている自分への満足感
・掃除☆
→気分転換(悪いことがあった時はそれを振り払える気がする)、いつも居心地いい部屋を保てることの満足感
・朝と就寝前にお湯を飲む☆
→体調が整う、起床時の気分不快が軽減する
・飲酒
→美味しい(時もある)、気分が良くなる(こともある)
・ブログで日記をつける
→散漫した思考がまとまる(こともある)、1ヶ月以上休まず書けているという達成感がある(ようなないような)
・・・とりあえず、ざっと書いてみたのだが。
どうやら私にとっての習慣の報酬は
1気分の(良い)変化
2達成感(爽快感や満足感もカテゴリー的には同じかもしれない)
この二つを得られるものが、習慣になっているらしい。
ということは、つまり。
今時点における私にとっての飲酒とは、やることで必ずしも気分に変化がもたらされるものでもなく(気分が高揚したことがない)、また自分の味覚を常に満足させてくれるものではないから(体調によっては同じ酒なのにえらく不味い時もある)習慣になり得ていない、ということだろう。
ブログの場合は、まだ初めて一月程度ということあって、後から見返しても達成感を覚えられるほどの記事量ではないのだ。書いていて必ずしも気分が良くなるかと言えば、そうでもないこともあるし。
まぁブログに限って言えば、もうちょっと続けてみないと分からないな、というのが実感ではある。
しかし、自分でやっている習慣なのに、その報酬が何なのかは、今日書き出してみるまで全く気が付かなかった。
私の報酬は満足感と気分転換だって。ううん、結構驚き。
努力について2
昨日から引き続き、努力について考えてみる。
昨日は
・強制されること
・矯正されること
・苦痛や我慢を強いられるもの
・成果が出にくい、変化が分かりにくいもの
が私にとっての「楽しくない」努力だと考えた。
ということは、「楽しい」努力は、少なくとも上記四点とは反対の位置にある概念になるのだろうか、と思う。
ので、書き出してみることにする。
・強制されること↔️自発的、自主的であること
学校のマラソン大会と、「早起きしたから一走り行ってくるか」の違いだろうか。
・矯正されること↔️特化させること
悪いところをなくしたり良くしたりよりは、自分の良いところを更に伸ばす方が、テンションは断然上がる、気がする。
・苦痛や我慢を強いられるもの↔️気楽にやれるもの
努力の継続するためのハードルが下がるのかも。
・成果が出にくい、変化が分かりにくいもの↔️成果や変化が目に見えるもの、体感できるもの
続けていけるためのモチベーションが必要ということ、だろうか。
ここまで考えてみて、思ったのだが。
私にとって努力とは、「続けられること」なのだろう。
成果が現れるまで、そして現れたその成果を保持出来るように、長く長く続けられること。
それが私にとっての努力なんだろうなぁ、と思う。
努力しろ、という言葉はよく聞くけれど。
学校でも職場でも、努力は義務みたいに語られるけれども。
で、そういうところで語られる努力がどういうものかと言えば、長時間休憩を取らずに机にかじりついて勉強することであったり、残業代の支払われない超過勤務をすることだったり、というイメージが強くあったり、する。
アスリートが歯を食いしばって走る、あの感じとも似ている。
ただ、今思い返してみて、私が努力出来たことや、今も続いていることというのは、そういう苦痛とは無縁のものだな、と思う。むしろ大変で、骨が折れる思いをしてやったことは、一年くらいは続けられてもその後が全く続かなくなった。
努力する姿を人は「ストイックだ」と表すけれど。
努力するのにストイックさなんて、本当はいらないんだろうな、と思う。
努力することについて
楽しくない努力よりも、楽しい努力をした方がいいよなぁ。
と、ふと思ったのだが。
じゃあそもそも、楽しくない努力とは一体なんだろう。
当たり前に思っているようだけれど、自分の中で明文化したことがなかったので、ちょっと考えてみようと思う。
◇楽しくない努力とは。
・強制されること
他人から言われたことを無理やりやらされるのは、まぁ、大抵苦痛ではある。
・矯正されること
自分の欠点や癖を直すのは、根気が必要で、時には苦痛を伴うことでもある。(だからほとんどの場合、悪癖は直らず放置される)
・苦痛や我慢を強いられるもの
痛いことや苦しいことは率直に辛い。それに、我慢しなければならないことがあるというのも、苦痛だ。
・成果が出にくい、変化が分かりにくいもの
努力してもなかなか芽が出ないとか。あとは自分が求める形での成果物がないと、モチベーションは続きにくい。
・・・ざっと思い付く限り、こんなところだろうか。今こうやって書いたものを眺めただけでげんなりしてしまうくらい、人の意気を削いでくる。
ということは。
上記四つを極力回避すれば、楽しくない努力という不幸に出会わなくて、済むんじゃないだろうか。
・・・今日は時間がないのでここまで。次は楽しい努力について考えてみることにする。
災害時について
大規模災害の場合、同じ地区に住んでいたとしても、それぞれの被害状況があまりに違うことがあります。
そういう時、どうしても人というのは比べてしまって、どうして私だけという不公平感だったり、絶望感だったり、周囲よりも一見被害の軽いことに後ろめたさや罪悪感だったりを、感じてしまうことがあります。
そういう時は、なるべくスルーを心がけてみるといいと思います。
難しいことだとは思います。こういう状況では、平常ではとてもいられないのは、仕方がないことです。
ただ、そういう感覚は、想像以上に人の体力や精神力を奪ってしまいます。ただでさえ疲労しているところに追い討ちをかけてしまいます。
足が浮き立つような罪悪感や、怒鳴りたくなるような不公平感が出てきた時は、「スルー、スルー」と心のなかで呟くだけでも、自分の中で冷静さを少し取り戻せたりとします。
また、軽く肩を回したり、その場で何度か足を踏み締めたり、手首を捻ったりするだけでも、思考は一瞬止まってくれます。
極度の緊張状態だと、人の体は思いもよらない強張り方をしてしまい、それがまた、体の負担になることが往々にしてあるからです。
もし考えに押し潰されて息苦しい時は、意識して体の一部を動かしてみるといいかもしれません。
震災について
危機的状況にあると、二三日くらい眠らず休まずで活動出来てしまうことがありますが。
そのまま休まないでいると、いきなり倒れるように眠くなることがあるので、出来ればぜひ、小まめな休憩を心がけた方がいいです。
恐らく震災直後の今は、神経が冴えてて多少休まなくても大丈夫、という人がいるかと思います。
余震や安否確認、自宅の状況など、とても休む気が起きない、と思う人もたくさんいると思います。
ただ、人間限界はありますし、限界が来るとスイッチを切られたように、突然動けなくなります。
うっかり変なところで倒れて、頭をぶつけて、なんてなったら洒落になりません。
身の安全が確保出来たら、なるべく定期的に休んだ方が、体の負担は断然違います。
例え眠れなくても、一定時間何もせずに目を瞑っているだけでも、体は多少回復してくれます。
東日本大震災の時に全く眠らないでいたら、4日目に倒れてしまったので、手前ごとの経験を書きました。
平日のタイムスケジュール分析
ちょっと本腰を入れて、人生を変えようと思っている。
ので、手始めに、毎日自分がどういうことに時間を使っているのかを、タイマーで計りながら書き出してみることにした。
◇平日のタイムスケジュール
6時:起床
六時半:朝食
7時:出勤
8時:職場到着
八時半:始業
17時:退勤
18時:帰宅
18時半:掃除
19時:夕飯
20時:入浴
24時:就寝
◇行っていることと、それぞれの所要時間
睡眠時間:六時間
出勤準備に要する時間(朝食も含む)
:一時間
通勤時間:二時間(往復)
勤務時間:八時間三十分(一時間の休憩含む)
掃除:二十分~三十分
夕食:四十五分
入浴:三十分~四十五分
その他(入浴後から就寝まで):三時間~三時間半
◇気付いたこと
・通勤時間が思っていたよりも長い。
・入浴後から就寝までの三時間を、何をやっていたのかのまともな記憶がない。(ネットを眺めていた、動画を見ていた、程度の記憶しかない)
・毎日職場に、少なくとも八時間以上滞在している事実
◇上記を踏まえ、改善したいこと
・通勤時間の短縮。
・労働時間の短縮。
・空白の三時間の活用。
◇改善のための方策(思いつき程度の案)
1通勤時間短縮
・勤務地近くに引っ越す
・自宅から近い会社に転職する
・自営業になる
2労働時間短縮
・正社員ではなく、パートないし嘱託にポストを変える
・現職よりも短時間勤務の職に転職する
・短時間でも生活費を稼げるフリーランスになる
3空白の三時間活用案
・読書(紙の本あるいはkindleのみ。ネット記事は除外)
・小説を書く
・ブログを書く
・英語の勉強
・室内の片付け、断捨離
・美容に関することをする(ネイル、マッサージ、ストレッチなど)
・・・と、まぁ、ざっと分析してみたのだけれど。
いかに私は毎日ファジーに生きていたか、というのがよく分かった。
毎日余裕がなく、急き立てられる気持ちだったのだけれど。今回タイマーで逐一行動を計測してみたら、心が落ち着いている自分に気がついた。
多分、欠如していた時間感覚を得たことで、自分の行動を客観視出来たことが、安心感に繋がっているのだと思う。
自分の状況を把握できないというのは、恐らく想像以上に人を痛め付けているのかもしれない。
それはさておき。
私が毎日謎の使い方をしていた三時間半を、これからどう消費していくか。ひとまず今日は、溜まっているkindle内の実用書に手をつけてみることにする。
ついでに、ちょっと使うのが癖になりつつあるタイマーで、時間も区切ってみようかしら。
とりあえず、三十分でやってみるか。
アルコールとアイスの親和性がやばすぎる
アイスに酒をかける。
という、大人だからこその不摂生にはまっている。
最初はワインや甘めのカクテルの、せいぜい度数が十パーセント程度の可愛らしいものだったのに、最近のもっぱらのお気に入りは、オレンジキュラソー。度数はなんと四十パーセント。まぁ、結構、高い。そのまま飲むと噎せてしまうくらいだ。
それをアイスクリームにかけるととんでもなく食べやすく、美味しくなってしまうのだから実に驚き。オレンジの香りがアイスの乳成分といい感じにマッチして、いくらでも食べられてしまう。カロリーもさることながら、度数も結構いっている筈なのに、その時だけはアルコールを感じさせない。全くもって恐ろしいこと。
・・・ふと、アレキサンダーというカクテルのことを思い出した。
ジンまたはブランデーに、生クリームとクレームドカカオを使った、甘いお菓子のようなカクテルだ。
蒸留酒を使っているから、度数はかなり高い。のに、飲みやすいことで有名で、確かある映画で、このカクテルをきっかけにアル中になる女性が描かれた、と聞いたことがある。
・・・なんか、今の自分もそこに片足突っ込んでいる気がするなぁ。甘いもの×酒の掛け算は、おっかないところに繋がってる、予感がする。
するけど、残念ながらまだ暫くは
、やめる気が起きないんだよなぁ。もうちょっといろんなお酒で試してみたいし・・・。何より、美味しいし・・・。
お酒が何よりも厄介なのは、よほど手痛い失敗をするまで、自発的にやめる気が起きないところだなぁ、なんて思う。
※胃と肝臓に気をつけて楽しむのがベスト、過ぎたるは及ばざるがごとし。
と書いてはみたけれど、自戒を込められない・・・