とり日記

日々思ったことの備忘録。

2018年8月6日

この時期になるとよく戦争の話が出てくるけれど。
思い出すのは、祖母が昔語った、とあるよもやま話。
祖母は長野の生まれだ。浅間山がいつでも見える位置にある町で幼少期を過ごしていた。

彼女が幼い頃、浅間山は頻繁に噴火していたという。昼も夜も問わず。昼間は火口から上がる黒煙を、夜は闇の中真っ赤に立ち上る火柱を見た、とか。

その時、周囲の大人はしきりにこう言っていたそうだ。

「近々戦争が起きるかもしれない」と。

どうやらあの辺りでは、浅間山の噴火を戦時の前触れと捉えていたらしい。夜中に唸りながら噴火する浅間山に向かって、祖母の母はなにやらまじないごとを呟きながら、しきりに拝んでいた、とか。

それから間もなくして、例の戦争が始まったらしい。

この話を聞いてから、ちょこちょこそういう逸話がないか調べているのだけれど、同じ話も、似たような話もまだ見つけていない。だからといって、祖母の創作と切って捨てるのも何だかな、と思う。
第一作り話にしてはちょっと生々しい。真夜中に赤々と上がる火柱の描写や、それに向かって両手を合わせ、うつむいてぶつぶつ呪文を呟く曾祖母の姿など、聞いていてその情景が見えてくるほど。これを嘘と切り捨てるのはロマンがなさすぎる。

思うに、浅間山というのはあの辺り一帯のシンボルだったのだろう。今ももちろんそうだろうけれど、あの時代では多分まだ、神様というか、偉大な何かそのものと捉えていたんじゃないか。浅間山は何度か激烈な噴火を起こしている。いくつもの村を飲み込み、辺り一帯の地形を変えてしまうような、そんな噴火だって、ちょっと数百年遡ればあったのだ。

そういう山が、最近やたらと炎を上げている。前は白い噴煙だったのに、最近は黒い煙がもうもうと上がる。夜中は真っ赤な火柱。遠く離れた麓の町でもよく見える。そういえば何だか情勢がきな臭いらしい。そろそろよからぬことが起きるのかもしれない。そういえば前も浅間山がこんなことになった、そのあとすぐに戦争が始まった。その前も、ああそういえば○○戦争の前もそうだった。

ならばまた、戦争が起きるのじゃないか。近々、大きな戦争があるのじゃないか。
だってほら、あんなに浅間山が噴火しているのだもの。

――こんな風に、思ったんじゃないだろうか。祖母の父母は。あるいは周囲の、浅間山を見上げる位置に住む人々は。

妄想だ。何の根拠もない。祖母が話した昔話。よもやま話。

でも戦争と聞くと、まず思い出すのはこれなのだ。

浅間山が噴火すると、近々戦争が起きる」


※今ちょっと検索かけたら、どうやらそういう俗説があるらしい。一体どこ由来の、どの辺りまで伝わっている話なのだろう。気になる。